『近思録』

人之情、易発而難制者、惟怒為甚。

人の情は発し易(やす)くして制し難(がた)き者なるも、惟(ただ)怒りを甚(はなは)だしと為(な)す。

【訳文】人の感情は発しやすく抑えがたいものであるが、その中でも怒りが最もひどい。

 人間は感情の生き物だから、思わず知らず喜怒哀楽などの感情をもよおしやすい。『荘子』に「真人(しんじん)」すなわち自然の道理を体得した理想的人間の情の動きを「喜怒は四時(しいじ)に通ず(喜怒哀楽の情はあたかも四季の移ろいのように自然である)と言う。喜怒の情の発露が自然であれば、むしろ情感豊かな人として親しみやすい。自然に発して自然に収束する。こうありたいと願いながら、あらぬ怒りを発したり、度を超してはしゃぎすぎたりと周囲から眉をひそめられることもしばしばであろう。もとは自然の情でもいったん発してしまうと度を超えて押さえきれなくなってしまうのは人の常である。喜び、悲しみ、怒り、どれも押さえきれないが、中でも怒りが一番押さえがたいと『近思録』にはいう。

  確かに人は自分の思うようにならないとき、自分にも非があることなど棚に上げて、あらぬ怒りをもよおす。よしんば怒るべきところで怒ったとしても、その怒りは自分ではなかなか度(ど)し難い。もうやめればいいのにと自分でも思うのに、引くに引けないところまでいってしまう。さらには「室(しつ)に怒る者は市(いち)に色(いろ)す(家で怒っていた者は市場に行っても怒りの表情をしている)」(『戦国策』)というように、その場から離れてもその情を移すことは難しい。やっかいな情である。
 しかし「怒る者は常情(じょうじょう)にして笑う者は測(はか)るべからざるなり(怒りの感情は人の常であるから対処しやすいが、怒りもせずいつも笑っている者の心は推しはかりがたい)」(『資治通鑑(しじつがん)』)とも古典には言う。怒りの情を出さない人は何を考えているかわからない。そういう人に比べれば怒る人の方がつきあいやすいということか。怒りの情とじょうずにつきあうことが必要なようだ。


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〔筆者〕
江口尚純氏のプロフィール
昭和37年(1962)生まれ。
早稲田大学大学院(東洋哲学)修了。中国古典学を専門とする。
現在、静岡大学教授。主な著書に『研究資料漢文学8歴史Ⅱ』(明治書院)、『中国歴史紀行/隋・唐』(学研)、 『新明解 四字熟語辞典』(校閲・三省堂)、『ことわざの大常識』(ポプラ社)などがある。