酒—酒飲みの自己弁護

寒くなるにつれて、酒がおいしくなってきた。とはいっても、酒飲みは季節をとわず、なにかにつけネタを探しては飲むものだ。
 日本の酒飲みには「なんでも来い」派が多いようで、しばらく前にワインブームがあったと思えば、ビールと発泡酒もあいかわらずの人気で、各メーカーから風味やネーミングに工夫を凝らした新商品が次々に発売されている。
 最近は焼酎の大ブームで、地方で少量しか生産されていない珍しいものを揃える酒屋や焼酎バーが増えてきた。グルメブームは酒にまで及んでおり、酒を愛するものたちにはまことに嬉しい時代となってきた。

酒は神さまのお下がり
「酒」という漢字は甲骨文字からすでにあり、その時代からサンズイつまり《水》と《酉》の組み合わせだが、《酉》は酒を入れた壺の形をかたどっている。  当時の酒は祭りに使われたから、まず神に供えられるものだった。しかし神さまが実際に飲むわけではないから、祭りがすむと酒は他のお供えとともに、「お下がり」として祭りに参加したものがいただいた。そしてそれが酒である限り、きっと酔っぱらうものがいたにちがいない。酒の歴史は同時にまた、酔っぱらいの歴史でもあるわけだ。

「酒は百薬の長」
しかし飲酒は爽快な気分をもたらしてくれる楽しい行為である。そして酒好きは医学の知識もろくにないくせに、適度の飲酒は食欲を増進させるし、健康にも有害ではない、などと勝手なことを主張する。
 その論拠とされるのが 「酒は百薬の長」  ということばだが、これは来歴の古い成語で、もとは前漢時代の経済関係の記録に見える。
 前漢末期の皇后の父親であった王莽は、地位をたくみに使って、ついに国を横取りして「新」という王朝を建てた。彼の王朝は二十年ももたずに滅んでしまったのだが、それはさておき、当時の社会では塩と鉄、それに酒が統制販売品とされていた。
塩・鉄・酒はいずれも人間の生活に欠かせないものであり、それを十分に供給するために国家が専売していたのだが、統制の背後では官吏と大商人が結託し、そのために値段がつりあげられていた。王莽はその情況を改善し、流通を円滑にするための命令を出した。その出だしの部分に、
「夫れ塩は食肴の将なり。 酒は百薬の長にして、 嘉き会のよろしきものなり。 鉄は田農の本なり。」 という文章がある。  この文章こそが例の飲酒弁護論の出典である。しかし酒よりも重要であるはずの塩と鉄については一句ずつしか述べられていないのに、酒についてはごていねいに二句も費やされている。おそらく王莽だって、酒を弁護するのにどことなく後ろめたいものを感じていたのだろう。そしてどうせうしろめたいものならば、ついでに「色気」の方も弁護しておいてくれればよかった。そうすれば人気があがって、短命王朝の憂き目にあわなかったかもしれない。 水茎随想

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〔筆者〕
阿辻哲次氏プロフィール
1951年大阪生まれ。京都大学文学部中国語学中国文学専攻卒業。 京都大学大学院博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授、京都大学助教授を経て、現在京都大学大学院人間・環境学研究科教授。 専門は漢字を中心とした中国文字文化史で著書も多数執筆。主著「漢字学―『説文解字』の世界」(東海大学出版会)、「図説漢字の歴史」(大修館書店)、 「漢字の字源」(講談社現代新書)、「中国漢字紀行」(大修館書店)、「漢字の社会史」(PHP研究所)、「タブーの漢字学」(講談社現代新書)、 「『名前』の漢字学」(青春出版社)、「部首のはなし」「部首のはなし2」(中公新書)、「文字の文化史」(ちくま学芸文庫)、「近くて遠い中国語」 (中公新書)、「漢字を楽しむ」(講談社現代新書)など。